芝生の西瓜

あとでなんか書きます

小説を読むこと・読んできたこと

中学生になるかならないかぐらいのころから小説を読みだした。15年くらい経って、いまでも読んでいる。

年に数十冊。読む人と比べれば読まないほうだけども、そのへんの人よりかは読んでいるくらいだけども、小説が好きですと公言していいくらいには読んでいると思う。

なんでずーっと読んでいるのかな、と、年に数回くらいは考えて、いつも答えは出ない。おもしろいから、というのが大きな理由なんだろうが、かといって暇さえあればひたすら楽しく読んでいるということもない。

むしろ、意を決して手を出して、眉間に皺を寄せながら修行のような気構えで読んでいることのほうが多い気がする。

どうしてそこまで……と考えて、いまのところ、自分にとっては小説の中に「なにかほんとうのもの」らしきものがあると感じているからだと仮置きすることした。人にとってはそれは仕事だろうし、音楽やダンスだって、いろいろあるだろうけど、それがたまたま小説だった。

何冊かそういう本があった。これはほんとうだな、と感じる小説があった。

15年あっても「何冊か」しか見つからなかったかあ、というのと、そんなにいっぱいあるわけないよなそりゃあな、というのがどちらもある。

そんなことを思いながら読書をしているから、なかば義務感のように、皺をつくりながら読むことになる。ほんとうだな、と感じた本が皺の数よりも多くなる人生であるといいなと思う。